虹ノ松原 (唐津)

(2009年十一月唐津鏡山より撮影

遥か下虹ノ松原冬霞 (唐津鏡山)
下界なる虹ノ松原冬霞(唐津鏡山)

唐津湾沿いに、虹の弧のように連なる松原。唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長5km、幅1kmにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別 名勝に指定されています。NHK「21世紀に残したい日本の風景(BS2)」の投票で、第5位 に選ばれました!(唐津観光協会)

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世界の俳句

有季‧無季 定型.自由律 花鳥諷詠‧人情世故  時事‧社会 客観写生‧主観感動

 みんな みんなの母語でよむ俳句

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齢七十五にてつと去りし日を振り返りみて我自身を知る…
波の間に間に 流されるまま 人を羨むことなく 求めることなく
世間と争わず なれど 荒波に遭うを 免れ能わず
思いもよらない 公務員年金を亨く 多からずとも又 少なからず

命を保つに 憂うこと無し
キーボードを たたいて インターネットに遊ぶ

得るところ有れば 又与える事もあり
名利共に 余生の外にあり
(オーボー真悟)
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 (オーボー真悟)
The Global HAIKU Net: https://olddoc.net/global-haiku/index-H.html

2012年2月13日月曜日

一外国人の俳句手習い手記-(2)-002

  小生は無母語の国のない国(連合国から認められていない)の住民である。十五歳から中国官話(mandarin)を外国語を習うと同じように習いました、それ以前に習ったのは日本語、所謂の母語と言えば当然台湾語だが、この母語は二つの政権の高圧的統治下においてほとんど押しつぶされて影を潜めて日の目を見ることはなかった。それゆえ小生の現在の常用語は生半可な中国官話、十五歳にして習ったのであるから当然生半可、母語でもないのだから(私は普通なみの能力の持ち主で、言語の天才ではありませんから)。

  さて、四年前、初めて俳句に手を染めてから、すこしづつ日本語を思い出して用をたして来ましたが、でも、どうしても日本語を母語とする人たちに比べれば語彙が足らず、言い回しもそれほど順調ではなく、その上昔覚えた日本語は、仮名使いも変り、字の形も変り、常用漢字という制限もあり、カタカナ語がめっきり増えたのはまだ良しとして、そのカタカナ語のオリジナルが推測できないほど縮められた頭プラス尻尾の省略ゆえ、困ったものです、、、、、。
  で、日本語以外の言葉で俳句を詠むとなると、どうしても常用語としている生半可な中国語官話に落ち着くのが当然、即ち「漢語俳句/漢字俳句」と言うことになります。
  最初に見つけた「漢俳」と言う言葉、しめたと思ったのも束の間、直感的に感じたことはこれは一寸俳句と違う、ただ字数、音数が同じ十七字または音と言うだけで、内容が大分違う、一寸ネット上をあさって見たら多くはないがたまさかそういう事を言う言論も見られた。その時の考えを小文にして本ブログにも載せてあるので、紙面節約のため興味のある方は、その項へお越し下さい。(漢語/漢字俳句) http://oobooshingo.blogspot.com/2010/07/002.html 


  前回申しましたように、最近発奮して猛勉強を始めましたところ、またまた、迷わずには居られなくなりました。と言うのは大抵の日本の方が「漢俳」を俳句とみなしている事実です。

  「漢俳」と言うのは、ここ二、三十年来中国で流行っている短詩型漢詩のことで、日本の「俳句」になぞって十七音の中国語短詩が作り上げられました。しかし「漢俳」はその内容の本質と情報量及び詩法に於いて「俳句」よりも日本の「短歌」に近いです。政治的原因もあったのか、日本の俳句界と漢詩界に煽られて、中国でも政治のトップが積極的に押した関係もあって、また元来の中国古詩よりつくり易いためか、瞬く間に人気を呼び、多くの作品がつくられ、出版され、その日本語訳も日本に紹介され、人気を呼んでいるようです。
  ネットをサーフしてみると「国際俳句交流協会」の「世界俳句事情」の紹介で葛飾吟社の代表理事である今田述氏が去年2011で、四回にもわたって中国語俳句として「漢俳」を詳しく紹介しています。今田氏は漢詩の大家、しかし、おなじ葛飾吟社に属する中山逍雀氏はそのブログで《俳句と漢俳》の題目で「俳句と漢俳は、詩法を異にする定型詩歌である」http://www.741.jp/kouza08/kou-08C43.htm と  「漢俳」は「俳句」とは本質的に違うとはっきり述べており、また元岐阜経済大学教授/上海俳句漢俳研究交流協会会長の朱実氏もその論文で〈俳句の形式に倣って漢字十七文字を五七五に配当する「漢俳」は、あくまでも中日文化交流の中で生まれた新詩型であって。俳句そのものではない。〉とはっきり言っています(朱實:《中國における俳句と漢俳》:「日本語学」:14: 53-62,1995,明治書院,東京,日本)。
  そのうえ日本の俳句にもっと近い「中国語俳句」があちこち見られるのも珍しくない今日この頃、どうしてこういうことになったのか、さっぱり納得がいきません、そのうえ日本の俳句を上手く「中国語俳句」(漢俳ではありません)に訳した俳句も多くある現状に於いて、これら「中国語俳句」の位置付けはどうなるんでしょうか?正直に言うて中山氏考案の日本語漢詩「曄歌」http://www.youka.cc/Ayouka/index.htm の方が「漢俳」よりも幾らか「漢語俳句」に近いのです、少なくとも情報量において。そのうえすでに日本でも六名もの方が「世界俳句協会」の《世界俳句2011第七号》誌に「曄歌」を発表しいる事実を前にしてどう解釈をすれば好いのか、「鈴を外すのには鈴を首に付けた人が必要だ」という俗語のごとく日本の方にお願いする以外はないと思います。
  最近日本に十年留学し文学博士号を取った金中氏(現中国陝西交通大學外國語學院教授)による「一語一句」の日本俳句の漢訳の提案も「漢語俳句」に適切な一つの形式であるべきである(《世界俳句2012第8号》pp. 86-98,2012,東京、日本)。
       2月9日に石倉氏のブログで「漢俳は錦上添花の俳句かな 」という名句を見つけた、確かに的を射た「俳柳」だ、さすがは漢詩三万首の漢詩人。http://shiciankou.at.webry.info/201202/article_29.html 


「俳句」を世界に広めるのにははっきりさせておく必要があると思いますが。


    (呉昭新;オーボー真悟;瞈望)

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