虹ノ松原 (唐津)

(2009年十一月唐津鏡山より撮影

遥か下虹ノ松原冬霞 (唐津鏡山)
下界なる虹ノ松原冬霞(唐津鏡山)

唐津湾沿いに、虹の弧のように連なる松原。唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長5km、幅1kmにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別 名勝に指定されています。NHK「21世紀に残したい日本の風景(BS2)」の投票で、第5位 に選ばれました!(唐津観光協会)

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世界の俳句

有季‧無季 定型.自由律 花鳥諷詠‧人情世故  時事‧社会 客観写生‧主観感動

 みんな みんなの母語でよむ俳句

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齢七十五にてつと去りし日を振り返りみて我自身を知る…
波の間に間に 流されるまま 人を羨むことなく 求めることなく
世間と争わず なれど 荒波に遭うを 免れ能わず
思いもよらない 公務員年金を亨く 多からずとも又 少なからず

命を保つに 憂うこと無し
キーボードを たたいて インターネットに遊ぶ

得るところ有れば 又与える事もあり
名利共に 余生の外にあり
(オーボー真悟)
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 (オーボー真悟)

2016年12月24日土曜日

エッセイ-0011-松尾氏と

(2015-12-16)松尾氏来訪:





12月の16日午後FBの友松尾さんが日本から拙宅を訪ねてきた、初対面ではあるがもうネットの上で何か月もおしゃべりをしているので初めて会う方と言う感じはなかった。簡単な挨拶の後すぐネット上での様にいつものごとく会話に入った。松尾さんはリタイアの前お仕事の関係で過去30年間に台湾へ30回以上もいらっしゃったことがあるので、パーフエクトな台湾通、私のような病院通い以外はめったに外出しない後期高齢者に比べれば台北市に詳しいという、確かにそうかも知れない、ここ30年来の都市の変化進歩はあまりにもテンポが速過ぎてうかうかしていると取り残されてしまうから。冬は日が暮れるのも早い、5時を過ぎたらあたりがもう暗くなっていた。そろそろ晩飯時だ。松尾さん小食なので簡単な台湾料理にしたいとあらかじめ約束があったので、台湾料理の専門店に行くことにした。松尾さんご遠慮して簡単な食事と言われたけど、初めての出会い小生もメンツがあるからおいそれとそのままうけあうわけにはいかない、行く先は南京西路新光三越の8階の〈欣葉>台湾料理に決めた。電話でタクシーをアレンジしたが退勤時間のラッシュと鉢合わせ、2軒のタクシー店とも車がない、しばらくしてから再度電話したら運よく車があった。レストランは7時で客が満席になった。代表的な台湾料理を7,8種類を選んで注文した、松尾氏確かに小食だった。騒々しいレストランで一時間半余り聞き取れない会話を交わした。ここ十何年来(?)、残った料理は持ち帰りができるので少しも無駄がなかった。明日を約束してホテルまで氏を送った。
翌17日約束通り松尾氏9時に来宅、松尾氏が日本から電話で連絡していた知り合いのドライバーと今日のコースを決めて、早速新北市の平渓へと向かった。松尾氏来台の目的地に一時間後に着いたが目当ての台湾炭鉱資料館はやっとのことで地元の人に尋ねて見つけた。もう何十年も経営しているが参観者は少ない。係りの方の説明によれば最近経営主が変わった由、いま整理中約3週間後完成すればよくなると。でも松尾氏はご満足の様子なので安心した。そこで展示されている資料やトロッコに乗った写真を残した。この台陽鉱業は戦後顔家一族(台湾5大財閥の一といわれた)が経営した炭鉱で第4代の長男顔恵民氏は日本のタレント一青妙、窈姉妹の父親である。資料館を出た後は山手を離れ一途西に向かい、台湾の北海岸に出て、さらに南へと車をはしらせて松尾氏の第二目的地であるテレサ.テンのお墓へと向かった。北海岸の道路は波打ち際に沿って走っているのでドライブによく、打ち寄せる白波の音を聞きながら、青空と海が遥かかなたに結びつく台湾海峡の海平線を見ながらのドライブ、自称雨男の松尾氏に反してのこの上もない好天気、だが松尾氏旅の疲れか、時々うとうとと眠りに落ちいった。
テレサ.テンの墓苑金宝山墓苑は北台湾一の豪華な墓苑で山の上にある。昼食抜きの行程で、急なつづら折りの狭い山道を20分ほど上りつめるとほどなく着いた、もう2時過ぎである。山腹一面に作られた墓苑の一画にテレサ.テンの墓碑はあった。訪れるフアンが多いためか、墓碑の前は広場として残されていた。2メートルあまりの金色の立像、大理石で造られた厖大なピアノの鍵盤が庭の真ん中にドカッと座ったようにあった。木曜日なので参拝者は多くなかったが、それでも墓碑の前には7,8名いた。松尾氏も手を合わされていた、真の心からのフアンである、氏は言う、テレサ.テンの歌の歌詞は全部歌えると。
墓苑を後にして3時過ぎに富貴角にある富貴漁港の魚市場についた、田舎町の小さな漁港ではあるが富貴角灯台は台湾の最北端で名を馳せているため、訪れる人も少なくない。魚市場には3、40軒ものお店があり、そこで目の前で泳いでいる魚介類を好きなだけ買って、すぐ隣にある料理場で料理にしてもらって食するのである。田舎料理であるが魚介類の新鮮度に問題はない、私はたまさか友人を連れてくるので、魚屋さんはよく知り合っている、もう30年近くのお得意であるゆえ安心して買える。20センチを超える大きな車海老、蟹、鮑、いしもち、丁度寒波来臨で旬のものの烏魚の白子など、7,8種類を買って料理にしてもらった。みんな喜んで食べてくれた、大豊収である。
食後また海岸線に沿って南下し、その後三芝で山手に入り、山道を一路大屯山の裏から峠を越えて表へ出た。家に着いたのは6時近く、再会を約束して松尾氏はホテルへ向かった。

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