虹ノ松原 (唐津)

(2009年十一月唐津鏡山より撮影

遥か下虹ノ松原冬霞 (唐津鏡山)
下界なる虹ノ松原冬霞(唐津鏡山)

唐津湾沿いに、虹の弧のように連なる松原。唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長5km、幅1kmにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別 名勝に指定されています。NHK「21世紀に残したい日本の風景(BS2)」の投票で、第5位 に選ばれました!(唐津観光協会)

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世界の俳句

有季‧無季 定型.自由律 花鳥諷詠‧人情世故  時事‧社会 客観写生‧主観感動

 みんな みんなの母語でよむ俳句

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齢七十五にてつと去りし日を振り返りみて我自身を知る…
波の間に間に 流されるまま 人を羨むことなく 求めることなく
世間と争わず なれど 荒波に遭うを 免れ能わず
思いもよらない 公務員年金を亨く 多からずとも又 少なからず

命を保つに 憂うこと無し
キーボードを たたいて インターネットに遊ぶ

得るところ有れば 又与える事もあり
名利共に 余生の外にあり
(オーボー真悟)
#お知らせ!!
e-book (オーボー真悟の短詩集)を刊行しました、ご興味のある方は下記のアドレスhttp://www.olddoc.net/oobooshingo-poem.pdf をプレスして下さい、無料でダウンロード出来ます。                    
 (オーボー真悟)
The Global HAIKU Net: https://olddoc.net/global-haiku/index-H.html

2017年6月4日日曜日

エッセイ



2017-06-04
今朝の新聞(朝日)を開いたら<(書評)『ポピュリズムとは何か』 ヤン=ヴェルナー・ミュラー〈著〉>の表題が目に入った。昨日僕がFBに載せた落書き<今12時正午です>の中で取り上げた<伝統俳句は俳句界のポピュリズム>の補充説明のようだ、確かな定義はまだないが当たらずとも遠からず、日本の俳人よ日本の俳句のために(戦前ならばお国の為に)。http://digital.asahi.com/articles/DA3S12971552.html 
2017-06-02
12時正午です、が空はどんより曇って雨が降っています。室内は夜も同然電灯なしでは仕事ができません、心も暗く重たい日です。ふとコンピューターを開けるとFB2年前の投稿がポックリ出てきました、芭蕉の言う<月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也>でもないが、その過客がまた通り過ぎようとしているのです。ざっと目を通してみると今と2年前はあまりか全然変わっていないようです。だが又新しい発見をしました、俳句の大先生が<三行詩>なればみな俳句だというのです、小生の驚きようは言葉に尽くせません、もともと<俳句は日本人にしか詠めない>と言う今までの困惑に比べて今度の俳句の定義の広さには面食らってしまいました、両極端、これが日本発の俳句の運命なのか?否!俳句の本質真髄は瞬間の感動を出来ないまでに縮めた言葉で表現する感動、で少なくとも一般の所謂の叙情詩ではなく、そして最短の詩であることそれだけ、また韻文であるが故に出来るだけ575に従う以外の縛りは個人の好みで、とるもとらないも人の好き好き、季語に至っては数千来の日本人の生活習慣に由来するもの、外国人はもとより日本人でも取捨選択出来るものなり。初心者で外国人の筆者のたわ言かもしれませんが、じっくり考えられないことも無きにしも非ず、殊にこの頃政治ニュースで流行っている<ポピュリズム>に思いを馳せるときふと所謂の伝統俳句の縛りは俳句のポピュリズムではないかと思うことも有ります。最後に俳句は日本発の短詩、今(>100年)世界中が大事にしている。(一外国人の私が口をはさむところではありませんが, 逆さにとれば日本人が口に出しにくいことを外国人だからこそいえるのではないでしょうか。このごろ英語で詠まれている<haiku>を読むと少なからずの人がちゃんとハッキリHaiku Tanka と銘打って詠み分けているのを見ます。日本の方々後れを取ってはなりません。) http://oobooshingo.blogspot.tw/2012/07/blog-post.html (外国人が考える「HAIKU」と「俳句」の未来 
2015-8-京都

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