林妙子氏遺品の短歌俳句集(2016-12-23)
今日12月23日11:30 a.m.メッセンジャーでの約束の時間きっかり, 一分一秒の差もなく林志明氏の紹介で林慶文氏が来宅した。初めて顔を会わせるFB(世界俳句と短歌)の会員友達である。林氏はわざわざお母さま(林妙子-日本人~1986)の記念すべき大事な遺品の書籍、約4、50冊を76歳の高齢で自分で車を運転して持って来てくれたのだった。小生より10歳お若いとは言え感激の極み、小生は80歳で車の運転をやめました。しかもその書籍と言うのが31歳の若さで亡くなられた世紀の詩人の父君(林修二-1914~1944:慶応大学英文科卒)を思う母君の短歌、俳句に関する思い出に満ち満ちたこの上もない大事な書籍なのだ。母君は異国の地で父君亡き後一人寂しく健気に短歌俳句を友に二人の息子に夫君の異国語の創作を読みほどく能力を与えるため教育をほどこし、そして二人とも台湾当地の日本系有名会社で最後にはそのトップの席まで勤めました、のみならず三人の孫娘たちもみな日本でおじいさんにゆかりある慶応大学に学び学位をとりました。当然おじいさまを了解するのに言葉に問題はありません、母君の長い一生の祈願は遂げられたのでした。その母君の遺品を僕が頂いたのです、感激しないのが可笑しいぐらいです。
今日12月23日11:30 a.m.メッセンジャーでの約束の時間きっかり, 一分一秒の差もなく林志明氏の紹介で林慶文氏が来宅した。初めて顔を会わせるFB(世界俳句と短歌)の会員友達である。林氏はわざわざお母さま(林妙子-日本人~1986)の記念すべき大事な遺品の書籍、約4、50冊を76歳の高齢で自分で車を運転して持って来てくれたのだった。小生より10歳お若いとは言え感激の極み、小生は80歳で車の運転をやめました。しかもその書籍と言うのが31歳の若さで亡くなられた世紀の詩人の父君(林修二-1914~1944:慶応大学英文科卒)を思う母君の短歌、俳句に関する思い出に満ち満ちたこの上もない大事な書籍なのだ。母君は異国の地で父君亡き後一人寂しく健気に短歌俳句を友に二人の息子に夫君の異国語の創作を読みほどく能力を与えるため教育をほどこし、そして二人とも台湾当地の日本系有名会社で最後にはそのトップの席まで勤めました、のみならず三人の孫娘たちもみな日本でおじいさんにゆかりある慶応大学に学び学位をとりました。当然おじいさまを了解するのに言葉に問題はありません、母君の長い一生の祈願は遂げられたのでした。その母君の遺品を僕が頂いたのです、感激しないのが可笑しいぐらいです。
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