<<俳句を詠む>>
―俳句初心者の一外国人の疑問―
呉 昭新 ChiauShin Ngo(NgBang;オーボー真悟)
(感動し俳句知らずが俳句詠む)
さて、78歳になったある日のこと、ただ日本語がある程度話せるというだけのことで、誘われて当地の日本語俳句会に参加させられました。暫く(約一年余り)するうちに、「俳句」とは?という壁に突き当たりました。とくに「季語」、「有季」‧「無季」、「客観写生」など。
定型、季語と客観写生は俳句の主流でかつ本流であり、本流以外は支流にもならない渓流のようです。ところがよく見ると、子規の「俳句」以後の「現代俳句」の俳人に、有季と客観写生に則しない名句や秀句が少なからずあります。そして、それらを俳句として許容していくための説明として、相当無理なこじ付けの弁解や説明もあるようです。
前述のごとく私の日本語は生半可で完璧なものではありません、でも外国人の日本語学者はいざ知らず、ただ日本語が使えるだけという外国人に比べればまだ少しはましな方です。その私が俳句について壁にぶつかった以上、外国人は、なおさらの事でしょう。しかし、俳句はすでに全世界で「Haiku」として知られてから百年を超えます。そこに矛盾というか、理解に苦しむ事実が出て来るのです。「俳句」‧「Haiku」の本質は?そして「漢字文化圏」における「漢字俳句」の位置づけ?範囲?
そして、あれこれネットをサーフインしている内に「世界俳句」に出会いました。そこで夏石番矢こと乾昌幸氏のお名前とお仕事を知り、私がネットを漁ってそそくさと書き上げた大雑把な台湾の俳句事情に関する拙文の意見を請うたところ、華語に堪能で漢詩人であり、また、俳人でもある鮟鱇こと石倉秀樹氏を紹介されました。以後一ヶ月余りの間に各々十何通かのEメールでのやりとりで、日本及び世界における俳句事情ならびに俳論について、短い時間で多くの知識をご教示に預かり、先の短い私にとっては、シヨートカットですが、この上もない幸運でした。
下記にて私が石倉氏から習い知った「俳句」、「世界俳句」、「漢語俳句」、並びに「これからの俳句」を基に、自分なりの幼稚な会得を述べさせて頂き、また皆様方のご高見を仰ぎたい次第です。俳句は三年以上習わないとその入り口さえ知ることをえないと言われますが、一外国人、そして先の見えている私です、門外漢の幼稚かつ乱言なる発言を、大目に見ていただきたいと思います。
先ず、「詩」とは人間が自然や人事などから受ける感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの、即ち人間の感動を言葉に表すことと了解します。そして「俳句」はその「詩」のジャンルの一族に含まれる筈で、「文芸」、「文学芸術」の一員です。
感動とは?人間と言う動物(霊長類)が特有する感情の現れ、とは云うものの、犬にある感情以下の情しか持たぬ人間もいます。しかし犬はその感情を行動には表わせるが、記号では表せられない、それが人間様には出来る、それがロラン‧バルトの言う「表徴の帝国」の俳句なのか?それはともかくとして、俳句を詩ではないと否定する人は、今はもう滅多にいないと思いますが、ひとむかし前(1946)、桑原武夫氏が俳句を「第二芸術」と批評して一騒動を起こしました。当時の大家たちからは大した反駁がなかったとかあったとかいろいろの言い分がありますが、六十余年後の今日に至るまで同じ状態が続いているようです。桑原氏の第二芸術論の是非は別として、問題は主宰、師匠の絶対的権威と流派の独裁的言葉のいじくり回しです、それが今でも続いていることです。
で、「詩」とは何だろう?人間の言葉を律動のある言い回しで表現すること(声に出し、又は字で書き出して詠むこと)なのではないか。そして「感動」は、人間が日常生活で出会う全ての出来事(人情道理)に対する反応であるべきで、人間の感覚(視覚、聴覚、触覚、味覚)、人情、人事、倫理、論理及び哲学など全般を含むべく、また主観、客観のどちらをも含んでいるのではないでしょうか。
「俳句」にはもう一つの条件が附けられており、それが俳句を他の詩と区別します。それは「短小」という条件です。そして一口に「短小」といっても、どれだけ短小でなければならないかというと、一寸戸惑いますが、一応どの言葉に於いても、その言葉において最短であるべき、ということかと思います。無理に云えば「アッ!しまった」という感嘆詞もその一言だけで最短の感動の一章になります。それを各言語の話者たちがそれぞれの歴史の時間のなかで、お互いに決め、また決めて来ているのです。そして、俳句の源流である日本では五七五合わせて十七音節が基準になっています。一方、表音系文字の西洋では三行詩のようです。でも、どの言語でも、いわゆる名詩人‧俳人が詠めば破調という例外が認められるのが人間様の悲しさ、人情義理、権力権威に逆らえないユニバーサルな人間性なのです。
ところで、五七五がいやなら、自由律の俳句を作ればよいとおっしゃる方もいられます。しかし、長さに制限がないと詩と変わりがありません、俳句ではなくなります、そこで、秋元不死男氏の、ある程度定形に縛られると言うことが俳句の俳句たる由縁、という説明も理解できます。秋元氏は俳句の定形はもともと文語を基にして決められたもので、口語で俳句を詠むには少し窮屈である、と言っておりますが……。
「俳句」は日本に起源し、今や全世界に広がっています。しかし、日本の伝統俳句ではご承知の通り、「季語」を用いるべきとされていますが、日本語以外の言葉では「季語」は受け入れがたい、ということになっているようです。
日本では五七五と季語以外に子規が俳句という用語を作って以降、虚子によって客観写生という条件が更につけ加えられました。そして、これから俳句を始めようとする人たちは、必ずと言っていいほどこれら三つのお決まりが先ず師匠、主宰からつきつけられます。
私のようないわゆる芸術の細胞を持たない生まれつきの者は、第一歩から大きな岩にぶつかるのです。芸術の遺伝子はなくても私は豊かな感情の持ち主で、何事にもよく感動します。その感動は俳句の感動と違うのでしょうか?定型の五七五は一応問題はありません、季題は私の住む台湾では季節風土が日本とは少し違いますが、少し勉強すればまだ何とかなります、しかし三つ目の客観写生はなんともなりません。人間の生活のなかで感動することは山ほど有るのですが、何故人間の全ての感動の一小部分の視覚の感動だけに縛り付けられなければ、俳句にならないのでしょうか?そしてその上「客観」だけに。これは、ただ虚子がそれを主張したからだけの理由でしょうか?私としては、俳句にもっと広い視野を期待するものです。
山本健吉氏は「俳句とは何か(角川文庫)」の中で、俳句の本質とは「挨拶・滑稽・即興」であると書いています。ところが今の俳句選集には子規、虚子たちも詠んだ滑稽な俳句は稀にしか見られません、滑稽は川柳の地盤に劃されているようです。人生の全ての感動を詠む上で、俳句と川柳を区別する必要があるでしょうか、極端なアイロニーや穿ちは別として、俳句に近い川柳、川柳に近い俳句も詠まれている今日、その必要はないと思います。また「即興」で思い出すのは、俳句の瞬間的感動という本質です、さすれば師匠たちが言葉を、盆栽をいじくり回すようにいじくっているのは何なのでしょうか。こういう状態が何時までも続くようでは、俳句の将来が思いやられます。
鷹羽狩行氏は日本で作られる俳句のほかに「海外俳句」-海外旅行や吟行で作られた俳句、「在外詠」-外国駐在中に作った俳句、「海外ハイク」-外国人が母国語で作った俳句としています、そして「海外ハイク」をさらに「英俳」、「漢俳」に分けられています。しかし、理由は別文で述べさせていただきますが、「漢俳」は、俳句とは言いかねます。ここでは、百年あまりの時間をかけて「世界の俳句」になりつつあり、いやなってしまった「俳句」について考えます。「世界の俳句」とは、何であるのか?
世界の俳句とは、上に掲げられた条件に当てはまるように、各言葉によって詠まれる短い詩です。
外国人が日本に源を発する俳句の本質が何であるかを問おうとするとき、日本の俳人の答えは「俳句」イーコル「伝統俳句」という考えが主流で、「季語」が無く「客観写生」ではない作品は「俳句」ではない、と言われてしまいます。しかし、この二つの条件は外国人にとっては難解で、また俳句の必須の条件とはどうしても思えません。日本においてもある人たちは「季語」と「客観写生」を「俳句」の必須条項とは見なしていません。また、芭蕉この方、「俳句」と命名した子規、その弟子たち、昭和初期、二次大戦中の新興俳句、戦後の昭和後期、そして現在の平成期においても、多くの俳人たちが「非定型」、「無季」、また「客観写生」でなく「人情道理」を詠んだ名句秀句を残しています。いわんや「客観写生」をうちたてた虚子さえも、いわゆる「客観写生」は一般大衆に俳句を広めるための便宜の策で、本意はそうでないと言われています。それが証拠には「去年今年貫く棒の如きもの」という論理的名句を「第二芸術論」騒ぎの四年後に残しています。市井の「伝統俳句」を奉じる師匠、主宰らは果たして真の俳句を了解しているのでしょうか。それとも、言葉にするのも野暮ですが、一国一城の主の地位を保たんがための私心から「伝統俳句」を奉じているのでしょうか。私の狭い知識の中でもすでにネットのうえで中川広氏が異議を持ち出しているのに気づきました。また虚子の「客観写生」の主張論にしても秋尾敏氏、石倉秀樹氏らが虚子の真意でないと述べていられます。そして、坊城俊樹氏も、血縁、家系のゆえか堂々巡りをしながら客観写生にもどっていますが、途中がどうもすっきりしないようです、私の日本語理解力の至らぬ由縁かも分かりませんが。
ここで俳句の本質を探るとき、石倉氏が俳論を知らない私のために引用した一段を下記に記してみましょう。
>インドの俳人サントシュ・クマールは、『俳句においてテーマとなる内容』という小論のなかで、次のように書いています。
「実際、普遍的に受け入れられる俳句の定義など、不可能なのだ。マックス・ヴェルハルトはいろいろな国の俳人たちに三〇~四〇語で俳句定義を募った際、これにつきあたった。マーティン・ルーカスは、マックス・ヴェルヘルトにこう書き送った。――俳句は、書かれる一句ごとにしか定義されない。ある意味、新しい句のひとつひとつによって再定義される。こう考えてみてほしい。自分で一句作るたびに、俳句という型式を実際に定義しなおしているのだ!『西洋俳人のとらえた俳句の本質』」。
確かにうまく言ったものだと思いますが、はたして俳句を生み出した日本の俳人たちは、そのまま受け入れて良いのでしょうか?少し寂しい思いがします。
私は俳句に心惹かれる一外国人として「伝統俳句」を固持する師匠たちが自分たちの私心を固持することなく、もっと広い心で「俳句」を包含し、「世界俳句」に進むのを期待しています。とどのつまりは五七五、季語、客観写生は俳句の本質ではなく、習慣やある人たちによって付け加えられた制限で、必須の条件ではないと思います。
もとより私は、「伝統俳句」を全否定するつもりはありません。歴史的事実としてある期間に「伝統俳句」を遵守した秀句が多く残されている以上、その価値は認められるべきであるが、世界俳句を目指す上では必須ではない、と言うだけです。日本の俳句も、「伝統俳句」か否かをお互いに議論するばかりではなく、各自が好きな形を択べばいいのではないでしょうか。
「和歌」や「連歌」でなく「俳句」が世界に受け入れられたのはそれだけの理由があるはずです。そして私は信じます、師匠たちが子規以降の多くの名俳人の如く、知らぬうちに少なからずの無季または論理的な名句秀句を詠んでいるはずと。
俳句にはまた、水墨画の余白と鈴木大拙のいう禅の思考との関係する要素があるようです、正直のところ、この二つが、俳句が世界に広まった重要な要因ではないのでしょうか?視覚の感動が哲学の思考へ飛躍するのは確かです、しかし、その他の感覚ではいけないでしょうか?詠み残し、彼ら自身の経験からくる感動を読む人に味あわせる余白を残すことは一石二鳥、いや三鳥、五鳥、百鳥という異なる感動を引き起こすのです。詠む人の感動と読む人の感動は、必ずしも同じではありません。それでいいのではないでしょうか。
詩を読んでその意味が理解できない詩によく出会います。俳句でも同じことが言えます。そういう時いつも自分には、詩または俳句の才がないのだと寂しい思いに陥ります。しかし、自己安慰でこうも考えます、人にはそれぞれに違った人生経験がある、あるひとが経験した事を他人も経験するとは限らない、それゆえある人が詠んだ俳句を他人が理解できるとは限らない、とくに優れた感覚をもつ人、また特別な経験をした人の感動は、他人は理解できないものなのだ、と。
だから他人の詩または俳句を滅多なことで批評してはならないのです。そして、他人の批評を気にすることもないのです、主宰や師匠の言うことも、その添削も、基本的なこと以外は。
俳句を三、四十年も詠んだ人が句会で得点が少ないと気をもんでいる事がよくありますが、そういう必要はないと思います。たとえば、テレビの句会では、主宰によって選択のしかたや着眼点が違うということがあり、ある主宰が秀句と択んだ句を別の主宰は必ずしも秀句とはしません。正直な主宰ははっきりと言います、○○主宰だと私が取らないこの句を取ると。
「俳句的瞬間」、「瞬間の感動」、そしてそれを最短の音で表すのが俳句の本質であり、「有季」に固執するより大事です。「有季」の本来の目的は、短い季語でもって何倍かの意味含蓄を持たせることであれば、 季語がなくても目的を達することができ、また、季語に変わる何物(キーワード)かがあるならば、季語は不必要だとおもいます。でも、あっても少しも邪魔にはなりません。
「季語」は本来は連句における発句の挨拶の言葉とされています。日本人は人に出会ったときや、手紙の初頭には必ずと言っていいほど季節の挨拶言葉から始まります。英語ではそうではないようです。「How do you do?」,「How are you?」
中国では「你好!」、でもこれは、新時代の造語です、台湾では「吃飽未?」(お食事はすみましたか?)が一般的な挨拶の言葉です。日本俳句で季節感を必須とするのは理解できますが、外国人には少し無理なようです。
また石倉氏は、世界の俳句の発展に寄与している原動力は、芭蕉、蕪村、一茶らの句の各人の個性で、決して俳句の季語や五七五ではない、といっていますが、そうであれば、季語や五七五を固持する必要はありません。
世界の俳人は互いに異質の中に何とか同質を求めようとし、そして、ある同質の要素を見出したからこそ、世界を股にかけて俳句に愛着を見出しているのだと思います。これに対し、日本の俳人は、結社の中でいつまでも同じことに執着し、言葉をいじくっている感じがします。何とかその狭いしきたりから抜け出して、新しい未来を求められないものでしょうか?伝統は守るべきですが、この情報が溢れ、情報過剰でもある時代に、情報の荒波をうまく利用し、乗り越えて往くべき道を探さなければ、いつか取り残され、呑み込まれてしまうのではないでしょうか。インターネットをサーフインしているうちに、三、四十年の歴史を誇る結社がいまだにホームページを持っていない、と言う事実に出会いました。清国の義和団、日本刀を振り回して機関銃掃射に突っ込む昔の侍、硫黄島の日本兵を思い浮かべさせられました。
以上俳句についての現状と疑問を多く並べましたが、これ等の問題が解決されない限り、日本の俳句は今のままの姿にとどまる事でしょう、そして世界の俳句も足踏みをすることでしょう。
でも俳句が世界の異なる言葉で詠まれている以上、そこに何か同質のものがあるはずです。今で言う俳句の定義にとらわれない、世界の俳句の定義を共に見つけましょう。
俳句の本質、日本人はそれを捜し出し大事にしなくてはならないと私は思います。
「漢語俳句」については討論する内容が違いますので稿をあらためて述べさせていただきます。
幼稚な俳句の知識と生半可な日本語で一外国人が、日本いや世界の俳句に対する期待を述べさせていただきました。
(2010年6月16日、脱稿)
(呉昭新=オーボー真悟=瞈望=NgBang)
【参考:書目、ホームページ、ブログ】
楠木しげお:《旅の人-芭蕉ものがたり》、銀の鈴社、東京、日本、2006.
高浜虚子:《俳句読本》、(日本教養全書-14)、p222-353;平凡 社、東京、日本、1974.
嶋田青峰:《俳句の作り方》、新潮社、東京、日本、1941.
鷹羽狩行:《もう一つの俳句の国際化》、(第17 回HIA 総会特別講演より)(2006. 6. 6)
http://www.haiku-hia.com/pdf/takaha2006.pdf
秋元不死男:《俳句入門》、角川学芸出版、東京、日本、2006.
佐籐和夫:《西洋人と俳句の理解――アメリカを中心に――》:
日本語学:14:12-18.1995。
現代俳句協会編集委員会:《日英対訳21世紀俳句の時空》、永田書房、東京、日本、2008。
木村聰雄:《20世紀日本的俳句──現代俳句小史》。《21世紀俳句の時空》pp2~41. 2008, 永田書房、東京、日本、2008。
夏石番矢《Ban’ya》http://banyahaiku.at.webry.info/
石倉秀樹:《獅子鮟鱇詩詞》http://shiciankou.at.webry.info/
坊城俊樹:《坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室》
http://www.izbooks.co.jp/sora3.html#bou
《俳論-Haiku Criticism》:《吟遊:Ginyu-International Haiku Quarterl》http://www.geocities.jp/ginyu_haiku/criticism.htm
八木健:《「俳句のルーツは滑稽」―「子規、虚子たちも詠んだ」》
http://www.kokkeihaikukyoukai.net/img/newspaper01.pdf
中川広:《中川広の俳句ページ》
http://www1.odn.ne.jp/~cas67510/haiku/index.html
呉昭新:《台湾俳句之旅》。「台湾文学評論」、第十巻第一期、
pp.75~95, Jan. 2010, 台湾文学資料館、真理大学、台湾
http://140.119.61.161/blog/forum_detail.php?id=3177
オーボー真悟(呉昭新):《オーボー真悟》
http://oobooshingo.blogspot.com/
黄靈芝:《臺灣季語及臺灣語解説》,「臺灣俳句集(一)」,1998,
pp.76~83,台北,台灣。
莫渝:《鐘聲和餘音》:〈愛與和平的禮讚〉,pp. 3-17,草根出版,臺灣,1997。
中山逍雀:曄歌,世界最短 漢字文化圏共通漢詩:
http://www.youka.cc/index.html (2009-09-30 reached)
《葛飾吟社》:http://www.kanshi.org/ (2009/10/20)
日本漢俳學會:http://www.kanpai.cc/ (2009/10/20)
中山逍雀:《漢俳詩と俳句の叙事法の相違》:
http://www.kanpai.cc/book/book13.htm(2009/10/20)
鈴木大拙 著,陶剛 翻譯:《禪與俳句》,〈禪與日本文化〉,
pp. 105~134. 1992,桂冠圖書,台北,台灣(國立台中圖書
館-電子書服務平台)
羅蘭‧巴特 著;李幼蒸 譯:《寫作的零度》,〈寫作的零度〉,1991,
桂冠,台北,台灣,pp.75~128. (國立台中圖書館-電子
書服務平台)
羅蘭‧巴特 著;李幼蒸 譯:《符號學原理》,〈寫作的零度〉,1991,
桂冠,台北,台灣,pp.129~214。(國立台中圖書館-電子
書服務平台)