<偶感>
棺桶はもう目の前に、地球もいつかは破壊される時が来る、ただ明日か数億年後かは分からないのみ。そのとき記録はなくなり、歴史も消えてしまう,一切は無と空に帰す。
学者、学者と、若かりし頃一途に崇拝し、ただ学問のために学問だけをしているように思っておりました。社会のこまごました細事にはかかわらず、毎日を本の山の中に埋もれて真実を求めているように思われました。
時代が変わったのでしょうか?いつからか,学者たちは毎日声を張り上げて口論し、座が変われば脳みそも変わるというのか、常時機会あるごとに権力と財宝を求めて喚きおり、また自らを専門家であると思い込んでいるうぬぼれ者は舞台の上で踊りまわりおる様、しかし一方では少数ではあるが、黙黙と自分の学問に浸る学者もまたいます。
いつの時代にも流れがありますが、最近文学畑における人気のない詩に於いても、特に人気のない「俳句」にも燦燦とちらつきを見るようになりました。
台湾では「俳句」は20世紀の終わり頃に新聞誌の文芸欄で少し垣間見ましたが、まもなくきえました。小生の愚見からすれば当時の詩人が「俳句」の真髄を理解していなかったということです。しかし見ていると最近の作品も相変わらず同じ溝にはまっているようです。
現代詩の詩人たちはただ徒党を組んで集まり,すこし日本語が分かる者は野心ある日本人と組んで漢語俳句を始めました。だが漢語俳句は既に <漢俳> の失敗が先にあるにも懲りず,相も変わらず生半可な日本語で似ても似つかない漢語俳句を作りだし,日本人は漢語の綾を知らぬが故甘んじて受け入れた結果、そこに得体のしれない漢語俳句を生み出すはめになってしまいました。
ましてや、日本の俳句には二つに流れがあり、一つは本当に詩として俳句を習う方と、もう一方は挿花のように芸事としてまた言葉遊びとして俳句を習う方々がいらっしゃいますが、ポピュリズムで後者の方が多くなり、知らぬ間に主客転倒し、結果は後者が主の様に誤認されるようになりました。その上、結社の主宰は知らぬならいざ知らず、たとえ知っていても生活維持の生業のため敢えて自ら言い出すこともあり得ません。
俳句は世界の俳句になり、俳句を学びたいなら本物の俳句を学ばなければなりません。
日本人とて必ずしも俳句を知っているとは限りません、それゆえ俳句を本当に理解していない日本人の話を聞く必要もありません。
〈俳句〉とは、明治中期のころ、〈子規〉こと〈正岡子規〉によって150年前に命名されたもので、所謂 <芭蕉>の〈俳句〉とは、子規が〈俳句〉を命名した後、<俳句>の <観念>、<本質>、および<形態>が500年前の <芭蕉> の時代にも既に存在し、<芭蕉> の言う <不易流行>とは、<本質は変更されないが、時代の変遷とともに受け継がれて変動し流行する意味>で、実際上、<世事> のすべては時代の変化とともに自然に変化し、<変わらない> のではありません。
したがって、多くの日本の俳句結社の主宰が教えている <花鳥諷詠> と <季語> は <子規> の弟子である <虚子> 即ち <高浜虚子>が昭和の初期に於いて日本人が詠み易いために提唱した日本人の習性と社会風習また日本の四季変化に則た <一家言> でありますゆえ、 外国人はもちろんのこと、日本人でも必ずしも従うことはありません。 <俳句> の本質は、<短い>、<瞬間的感動>と<詠む人と読む人による詩情の違い> 即ちおなじ句を読んでも詩人の詩情は人によって異なると言うこれらの3つの原則以外にはタブーなしで生活に出会うすべてを詠むことができます。
これらの事は小生すでにいくつかの電子書やフェイスブックで取り上げておりますので敢えてここでまた贅言いたしません。
圖:曾文水庫(1987)