虹ノ松原 (唐津)

(2009年十一月唐津鏡山より撮影

遥か下虹ノ松原冬霞 (唐津鏡山)
下界なる虹ノ松原冬霞(唐津鏡山)

唐津湾沿いに、虹の弧のように連なる松原。唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長5km、幅1kmにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別 名勝に指定されています。NHK「21世紀に残したい日本の風景(BS2)」の投票で、第5位 に選ばれました!(唐津観光協会)

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世界の俳句

有季‧無季 定型.自由律 花鳥諷詠‧人情世故  時事‧社会 客観写生‧主観感動

 みんな みんなの母語でよむ俳句

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齢七十五にてつと去りし日を振り返りみて我自身を知る…
波の間に間に 流されるまま 人を羨むことなく 求めることなく
世間と争わず なれど 荒波に遭うを 免れ能わず
思いもよらない 公務員年金を亨く 多からずとも又 少なからず

命を保つに 憂うこと無し
キーボードを たたいて インターネットに遊ぶ

得るところ有れば 又与える事もあり
名利共に 余生の外にあり
(オーボー真悟)
#お知らせ!!
e-book (オーボー真悟の短詩集)を刊行しました、ご興味のある方は下記のアドレスhttp://www.olddoc.net/oobooshingo-poem.pdf をプレスして下さい、無料でダウンロード出来ます。                    
 (オーボー真悟)
The Global HAIKU Net: https://olddoc.net/global-haiku/index-H.html

2015年9月21日月曜日

オーボー真悟のブログ

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2015年9月19日土曜日

俳句(Haiku)-177

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秋燕まだうろうろし我恋うか
民叫び日暮れに消えて虫の声

   フオト伏見稲荷(2015-08-20)


2015年9月14日月曜日

エッセイ-008

じじばば孫娘(まご)引連れ京詣り(8月17~24)
歳のせいで、もう4年間日本への旅を控えていたが、20数年前京都の街中で偶然出会って(萍水相逢)道をたずねたのが機縁で良き友になったHさん(当時70歳前半、小生8歳年下)が会いたいというので、八月ごろ京詣りを予定していたが、夏休みのためかなかなかホテルの予約が取れずにいた。とかくしているうちにHさんが腰痛でリハビリの病院に入院したとの事、7月11日ようやく8月17日から一週間のホテルの予約が取れたので早速Hさんの娘さんに連絡を取ったところ8月14日に内科の検査の結果が分かるとの事、で14日の夕方お電話したら12日急に長いたびに立たれたとのこと、享寿94歳。Hさんとは20数年のおつき合い、台湾にもこられたことがあり、私も京都へ来るたびにはかならずお訪ねしておりました。最後に逢えず残念でした。旅の偶然の出会いでしたが、ともにタクシーでの京巡りや、グランヴィアホテルや料亭幾松で食事を共にしたこと、一緒に琵琶湖のクルーズや寂聴さんの噂などなど思い出は尽きません。
  17日夕方京都着、ホテルに入ったのは6時過ぎ。翌18日銀閣寺畔の料亭白水園で昼食をとった。あらかじめ電話で連絡してあったので既に店前で岩田富久子さんが待っていた。岩田さんは僕の小学校の同級生、昭和18年三月に一緒に左京区の北白川小学校を卒業した、しかも岩田さんと僕は二軒おいた隣に住んでいた、そして岩田さんのお母さんの好意でよく下校後岩田さんのお宅で一緒に勉強や宿題などをした。もう数多い同級生で今も連絡があるのは岩田さん一人になった。武内三郎君はもう十年前に亡くなっていた、でなければ京都に来るたびにいつも快く案内招待をしてくれた。伊藤忠につとめていた西村昇君は去年亡くなったばかり、娘さんのmasako kojimaさんが遺品の日記の中で最後の一句に<台湾からの電話>を見つけお手紙を頂戴したのをきっかけにフエイスブックで連絡をつづけている。その昌子女史が19日わざわざ名古屋からホテルまで会いに来てくださった。初対面ではあるがもう何十年ものおつき合いのような感慨だった。
もう体力がもたないので在京7日間を孫二人の日本文化紹介に当てた。京都の銀閣寺、嵐山、嵯峨の竹林、渡月橋、天竜寺、宇治平等院、姫路城、伏見の稲荷神社、大阪心斎橋商店街、京都駅界隈やその地下街などなどを見せた、そして京料理を食べさせた。孫の一人アメリカ生まれでまた育ちはめっぽう刺身と味噌汁が大好きなのでいきあたりばったりのお店であちこち15,6軒食べさせたが食べ飽きなかった。アメリカでは高くつくと言う。
特筆すべきは、79歳から始めた俳句で去来の落柿舎を知り、今回はじめて訪ねた。句碑がいくつかあり庭にはまだ晩夏であるため青い柿をつけた柿の木が二三本あった。虚子は彼の<俳句の作りよう>の一文のなかで去来を“じっと案じる”かたと仰っていますが、落柿舎にきてその雰囲気、気配をじきじきに感じました。この情報の過剰な時代に長い文章は嫌われる故ここいらでストップします。
*京詣り孫娘(まご)を連れてぞやっとこさ
        吾こどもの日ここに住まいしと
*待ちきれず先に行くとて絆切れ
*静けさや補聴器なくてピースかな
 虚子文の一節:





             落柿舎



平等院


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