虹ノ松原 (唐津)

(2009年十一月唐津鏡山より撮影

遥か下虹ノ松原冬霞 (唐津鏡山)
下界なる虹ノ松原冬霞(唐津鏡山)

唐津湾沿いに、虹の弧のように連なる松原。唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長5km、幅1kmにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別 名勝に指定されています。NHK「21世紀に残したい日本の風景(BS2)」の投票で、第5位 に選ばれました!(唐津観光協会)

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世界の俳句

有季‧無季 定型.自由律 花鳥諷詠‧人情世故  時事‧社会 客観写生‧主観感動

 みんな みんなの母語でよむ俳句

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齢七十五にてつと去りし日を振り返りみて我自身を知る…
波の間に間に 流されるまま 人を羨むことなく 求めることなく
世間と争わず なれど 荒波に遭うを 免れ能わず
思いもよらない 公務員年金を亨く 多からずとも又 少なからず

命を保つに 憂うこと無し
キーボードを たたいて インターネットに遊ぶ

得るところ有れば 又与える事もあり
名利共に 余生の外にあり
(オーボー真悟)
#お知らせ!!
e-book (オーボー真悟の短詩集)を刊行しました、ご興味のある方は下記のアドレスhttp://www.olddoc.net/oobooshingo-poem.pdf をプレスして下さい、無料でダウンロード出来ます。                    
 (オーボー真悟)

2011年7月28日木曜日

エッセイ(詩と神話)

           「詩と神話」            

 遠い遠い昔のことでした。一万年、いや十万年前、私には分からない。人類学者に聞いてみよう。
 人間の脳みそが作動し始めたときだ、人間が考える事が出来るようになってから間もない頃のことだった、人間様は自分がどうしてあるのか、何処から来たのか、どうして狩猟や農作や放牧をしているのかを、ふと考えたのだった、これが文化の始まりかもしれない。
 いやその前に文明の始まりがあるはず、人類がアーアーオーオーと声を出し始め、そして人類がその声を組み合わせて意思を伝える言葉になったとき、その言葉、いやその声をうまく組み合わせれば、色々なよい調べとなって聞こえることを発見した、多分それが歌の始まりだったのかもしれない。それから文字が作られた、文字により詩が、短歌が、俳句が、そして各言語の詩歌が記録されるようになった。
 そうだ、後戻りしよう、人間様が自分について考えるようになっても、まだ今のように合理主義とかいう考え方も無く、科学的道具も無かったので、脳みそは五官で感じた事象を主観的に想像するばかりだった。そこに創世や、強いもの勝ちのジャングルの掟、人類と獣に跨る本性、「食色性也」つまり、「食欲と色欲は人間の本性なり」という孟子にでてくる告子の言葉の生の本能、日常生活に関する様々な神話が生まれたのだ、そしてそこに主観的感情思考で詠んだ詩歌もまた生まれた。
 人間様の脳みそと言うやつは、なかなか一筋縄では行かないもので、とてもややこしく、曲りくねって、御しにくい。そのうちに、美の観念についても様々な見方を考えついた、主観に対して客観、皆さんよくご存知の客観写生とか、そしてその果てには客観写生でなくてはならないとか。詩歌が始められたときの主観的感情思考から、まさに主客転倒になってしまいました、が、またもう一度転倒して元に戻そうと言う動きもちらほら見られます。
 さて神話と詩のどっちが先に人間様の間に生まれたのでしょうか、私には分かりません、が、文明が文化に先立つことは、明らかのようですから歌、それも文字の記録がない語り部のうたのようです、短歌、俳句とか詩などになりますとずっと後のことになりますから、ひょっとしたら神話の方が先になるのかもわかりません。
 それはさて置き、神話も詩も始まったのは、昔々、遠い昔のことでした。ただ神話の方はその後、合理主義、科学的見解等のお出ましにより、そこでストップして、新しいものは生まれませんでした。が、一方詩歌の方は益々繁栄して色々な形、形式、鑑賞方法を生み出し、現今多くの子々孫々に恵まれ、日々弥栄の道を辿り、今日この盛会があるのもその証拠の一つではないでしょうか。
 とどのつまりは、神話も詩歌も人類の脳みその発達とともに一緒に生まれた兄弟でした、そして人間の感情、思想の起点に並び立って生まれた双子兄弟でした。双子の中の一人がなくなった今日、今残った一人を、脳みその飛躍する思考が感情の受け止めかたを彩り、たくましく、美しく、みんなから喜ばれるような人間に育て上げるのが私たちの願いまた勤めではないでしょうか。              (呉昭新;オーボー真悟)


(July 26, 2011 脱稿)


                朱銘 作

2011年7月27日水曜日

エッセイー(年をとる)

       <<年をとる>>

年をとるのは拒めない、嫌いではないが、体力と記憶力がおちるのはいやだ。が、拒めない。
二ヶ月前(五月末)台湾南部の義守大学の応用日本語学科が主催した「第二回全国日語俳句大会」の受賞式に特別講演に招かれて「漢語俳句と世界俳句」と言う題でスピーチをしたが、どうも恥ずかしい次第、うまくゆかなかったと自覚している。
最近のスピーチは約五年前、何の誤りも支障もなく気軽にやってのけた、で今回もそのつもりで48枚のスライドを準備して前もって大会に届けておいた。
さて台の上に上がってスクリーンに題目が映った、口をあけてスピーチを始めようとしたが言葉が出てこない、こんな筈じゃなかった、いぜんはスライドの字幕をみれば後から後へと自然と言葉がどんどん続くのだったが、そうじゃない、自分で何をしゃべったか、聴衆観衆が聞いて分かるのか分からないのか、まったく知らずに、次から次へとスライドを進めてスピーチを終えたしまった。 
五年前は76歳、今は81歳、体力が日々衰えてゆくのは、身にしみて分かるが、記憶力の方は固有名詞をよく忘れることと何かしようと思って立ち上がったら何をするのかわすれてしまったと言うことはよくあるが、まさかこんなにまでひどいとは夢だにも思わなかった。個人差ではあるが、97歳で亡くなった父は、80歳にして60年間苦労して集めた資料と書き上げた原稿を火事でことごとく焼かれた後、一からやり直して92歳で3000ページ、五百万字の未曾有の華台活用大辞典の編集を成し遂げて、93歳で国の文化勲章を受賞したが、筆者にはそんな体力も記憶力もない。日本の日野原重明博士には足元にも及びつかない、個人差と諦めざるをえない。まあ、達観であるというのがせめてもの慰め。
今年9月、東京で行われる第六回世界俳句大会に呼ばれているが果たして大丈夫なのか少し心配になってきた。先ずは原稿をしっかり作ってそれを見ながら読むことにした。(呉昭新;オーボー真悟)2011-07-27

2011年7月4日月曜日

短歌ー(0001)

     死して志士生きて政治屋世の常よ
    浮世に生まれやむなく生きる11-07-04
 
  四季狂い桜花梅花の並び咲き
    艶華の陰に一抹の寂び11-07-04
 
  愛情はまことたれとも消ゆるかも
 官能まこと跡を濁さず11-07-04

                (オーボー真悟;瞈望;呉昭新)


                 台東(台湾)-1977

2011年7月2日土曜日

俳句(HAIKU)-0074


      戦後派や津波原発バトル知り11-06-24
    クールビズ足取り軽いサラリーマン11-06-24
    本に穴紙魚の走りて本落ちる11-06-24
    紙魚走り穴に潜りて字の消える11-06-28
    かき氷涎流るも毒怖し11-06-28
     言葉なく饒舌もない夫婦かな11-07-01


                                                                   NIPM (1990)